しかし、一方、その地域共同体のつながりによって苦しんできた歴史もある。その世間という相互監視の目から逃れたくて、はぐれものは都会を目指した。もちろん、中央集権のせいで、都心でしか商売が
成り立たないという経済的な問題も大きい。
日本は明確な信仰がなく、共同体との連続性の中に地域や自然や神があるため、共同体から離れるとその上に乗っている神まで喪失することになり、心の支えを 失う。共同体が精神構造まで規定していることが日本の強みでもあり、弱みでもある。「絆」や「繋がり」はその失われた強みを取り戻そうという、ゆり戻し現 象だろうと思う。
しかし、その拘束があまりに強くなると、共同体内部の強者と弱者が生まれる上、そこから逃れることもできない、という袋小路にもなりうる。全国に未だ残る いじめ問題は、そのミニマムな共同体の原理である。彼らはここから逃れられないと錯覚し、自殺するまでに及んだ子ども達もいる。
また、写真というメディアは忘却を防ぐためのメディアでもある。しかし、脳は嫌な思い出をできるだけ削除しようとする。写真がいつまでも残るというのは、人間の記憶とは逆の方向性でもある。
例えば、有名人のプライバシーの流通ならまだしも、最近では一般人のプライバシーがネットを通じて流通し、そのコピーの数により実質的に削除できないということも起こっている。
「忘却と断絶」というのは一見悪く思えるが、そちらの方が自然なことも多い。一つの面だけが正しいわけではない。
SNSが発達し、すべての人のプライベートが露出されていく現在、隠されているもの、秘められているものの方が価値が高いこともありうる。
また、ネットによってがんじがらめになった情報共同体から逃れたいという欲望もある。
shadowtimesというのは、自己矛盾しているようだが、その隠されているもの、秘められているものの力を取り戻したり、情報共同体の閉じられた思考から逃れようという一つの試みでもある。(三)
日本は明確な信仰がなく、共同体との連続性の中に地域や自然や神があるため、共同体から離れるとその上に乗っている神まで喪失することになり、心の支えを 失う。共同体が精神構造まで規定していることが日本の強みでもあり、弱みでもある。「絆」や「繋がり」はその失われた強みを取り戻そうという、ゆり戻し現 象だろうと思う。
しかし、その拘束があまりに強くなると、共同体内部の強者と弱者が生まれる上、そこから逃れることもできない、という袋小路にもなりうる。全国に未だ残る いじめ問題は、そのミニマムな共同体の原理である。彼らはここから逃れられないと錯覚し、自殺するまでに及んだ子ども達もいる。
また、写真というメディアは忘却を防ぐためのメディアでもある。しかし、脳は嫌な思い出をできるだけ削除しようとする。写真がいつまでも残るというのは、人間の記憶とは逆の方向性でもある。
例えば、有名人のプライバシーの流通ならまだしも、最近では一般人のプライバシーがネットを通じて流通し、そのコピーの数により実質的に削除できないということも起こっている。
「忘却と断絶」というのは一見悪く思えるが、そちらの方が自然なことも多い。一つの面だけが正しいわけではない。
SNSが発達し、すべての人のプライベートが露出されていく現在、隠されているもの、秘められているものの方が価値が高いこともありうる。
また、ネットによってがんじがらめになった情報共同体から逃れたいという欲望もある。
shadowtimesというのは、自己矛盾しているようだが、その隠されているもの、秘められているものの力を取り戻したり、情報共同体の閉じられた思考から逃れようという一つの試みでもある。(三)
