もちろん、一眼レフデジカメになると、まだまだファインダーを見て撮影することが多いが、コンパクトデジカメやスマートフォンは、ほとんど両手で液晶モニターを見て撮影していると思う。
これは写真の内容だけではなく、撮影するという身体性をかなり変更させていると思う。特にスナップショットのような、被写体を素早く捉える撮影は不可能だ。ただでさえ、デジタルカメラの反応速度は遅い。
かつては、スナップという字義通り、魅力的な被写体を一瞬にして撮影するために、片手でカメラを持って「居合い」のように撮影する人も多かっただろう。そういう光景は今やほとんどお目にかかれない。
逆に、両手を前に出して前にならえのように撮影する人々とすれ違うことが多くなった。
特にそのような撮影を必要とされるのは戦場だろう。カメラマンは一瞬に撮影して体を移動させることができるため、被写体を継続的に撮影しなければならない ビデオカメラマンと違って、的になりにくいと言われてきた。しかし、液晶モニターを見ながら、両手で撮影していたら、危険極まりないだろう。
しかし、一昔前まで、ガラケーと揶揄される携帯カメラは、片手を突き出して撮影していた。それは撮影する行為の新たな形を提示していたように思う。
その意味では、現在のデジタルカメラやスマートフォンは、その身体性において退行している部分があるのではないだろうか。
撮影する、というより、撮影した写真を確認することに主眼が置かれているのだ。
特に気になるのは、日本のメーカーの極端な懐古趣味的デザインだ。どこも高級感を出すのに、古いカメラのデザインを踏襲している。
デジタルになったのだから、レンズやフィルムなどの制約は少なくなっており、もっと自由なデザインが可能なはずなのだ。
その証拠に、かつて三洋に片手で持つことのできるカメラとビデオの中間のようなデバイスがあって結構売れていたことを覚えている。
日本人は昔からアナログカメラの人口が多く、その人々たちの懐古趣味や馴染みの操作性のニーズがあるのだろうが、世界の人々にそれを押し付けるのはあまりにも発想が乏しいのではないかと思う。
個人的には、もっと大胆で革新的なカメラの形を出ることを期待している。例えば、片手でガンのように高速のスナップショットができるようなカメラがあれはすぐにでも欲しい。
そういう差異をつけなければ、カメラ単体である必要はあまりなく、スマートフォンで充分なのだ。
そういう新しいカメラを作り出さなければ、最後の牙城と言われている日本のカメラも外国勢に出し
かつては、スナップという字義通り、魅力的な被写体を一瞬にして撮影するために、片手でカメラを持って「居合い」のように撮影する人も多かっただろう。そういう光景は今やほとんどお目にかかれない。
逆に、両手を前に出して前にならえのように撮影する人々とすれ違うことが多くなった。
特にそのような撮影を必要とされるのは戦場だろう。カメラマンは一瞬に撮影して体を移動させることができるため、被写体を継続的に撮影しなければならない ビデオカメラマンと違って、的になりにくいと言われてきた。しかし、液晶モニターを見ながら、両手で撮影していたら、危険極まりないだろう。
しかし、一昔前まで、ガラケーと揶揄される携帯カメラは、片手を突き出して撮影していた。それは撮影する行為の新たな形を提示していたように思う。
その意味では、現在のデジタルカメラやスマートフォンは、その身体性において退行している部分があるのではないだろうか。
撮影する、というより、撮影した写真を確認することに主眼が置かれているのだ。
特に気になるのは、日本のメーカーの極端な懐古趣味的デザインだ。どこも高級感を出すのに、古いカメラのデザインを踏襲している。
デジタルになったのだから、レンズやフィルムなどの制約は少なくなっており、もっと自由なデザインが可能なはずなのだ。
その証拠に、かつて三洋に片手で持つことのできるカメラとビデオの中間のようなデバイスがあって結構売れていたことを覚えている。
日本人は昔からアナログカメラの人口が多く、その人々たちの懐古趣味や馴染みの操作性のニーズがあるのだろうが、世界の人々にそれを押し付けるのはあまりにも発想が乏しいのではないかと思う。
個人的には、もっと大胆で革新的なカメラの形を出ることを期待している。例えば、片手でガンのように高速のスナップショットができるようなカメラがあれはすぐにでも欲しい。
そういう差異をつけなければ、カメラ単体である必要はあまりなく、スマートフォンで充分なのだ。
そういう新しいカメラを作り出さなければ、最後の牙城と言われている日本のカメラも外国勢に出し
抜かれてくだろう。(三)

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