岡本太郎は、美の起源は呪であり、芸術は呪術から派生したと考えていたと思う。だから、「美の呪力」というのは、様々な芸術文化の美の中に含まれる呪の痕跡をたどりながら、還元的に美の起源を呪に求めたものだろう。
僕は「美の呪力」をさらに分解して、「図の呪力」というものがあると思っている。そして、その「図の呪力」は現代の我々の社会でも頻繁に使われている力である。
例えば、企業や研究の資料やマニュアルには頻繁にチャートやグラフなどの図が出てくる。それがかなり抽象的なことであったとしても、それを見て我々はわかった気になる。「わかった」のではななく、「わかった」気になっているのである。
それはまさしく「図の呪力」であり、図の呪力に理解を縛られた瞬間であると言えるだろう。そのように、図をたくみに使いこなすことが、現代社会の仕事や研究においても重要な力なのである。
一見、科学的になったと思われる世の中においても、呪力は至るところに散見される。問題なのは、人間同士が使う呪力はその効力が脆いということである。「想定外」とは人間の知識や理解の限界を露呈した言い方でもある。
呪力とは超自然的なものから派生している。自然の振る舞いを感知する能力こそが呪力の源であり、人間の科学的な理解において、自然を押さえつけようとしていることは、逆の方向性であるといえる。
昨今の様々な災害を経て、我々はようやくその事実に気付きつつあるようだ。(三)
