2012年11月9日金曜日

教育者の地獄と極楽

僕は二十代の頃、専門学校の非常勤講師を3年間、2つ掛け持ちしたことがある。両方、芸術系の専門学校だった。

僕はその3年の経験を経て、二度と教育の仕事はするまい、と心に誓ったのだった。

専門学校というのは、今でこそ即戦力の学校が多いのかもしれないが、10年以上前は大学に受からない子が行くところだった。つまり、相対的に能力とモチベーションが低い場合が多かったのだ。

そうすると、こちらがどれだけ一生懸命授業をしても暖簾に腕押し、期待する反応は返ってこない。徒労感が日に日に蓄積する結果となった。これはまさに教育 者の地獄だなとしみじみ思ったのである。そして、やはりお金のやりとりをする、実践の中に身を置く方がいいと思い、それ以降、学校で教えることはない。

結局、仕事に就かない限り、実践的なトレーニングはできない。そうであれば、早く仕事に就いた方がいいのは言うまでもない。教育というのはその頃からすでに社会の実際から離れて形骸化していたのだ。

それはともかく、では教育者の極楽とは何だろうか?能力とモチベーションが高い学生を教えることだろう。そうすれば一緒に、共同研究をするのも楽しいに違 いない。山中教授も、奈良先端科学技術大学院大学(NAIST)という、日本一の評価を得た大学院大学で研究をしたことで、iPS細胞を発明することがで きた。

本人も称えていたが、研究室の助手や学生が明らかに優秀なのだ。彼は教育者としての極楽も得ていたということが言えるだろう。

さて、許認可問題で揺れている大学だが、大学の乱立によって、私立大学の定員割れは5割に迫っている勢いだという。大学はかつての専門学校化し、相対的に能力とモチベーションが低い学生が大挙として入学する時代に突入している。

殆どの大学は、授業料で経営をしているから、どんな出来の悪い学生でも大歓迎なのだ。そうなると、大学の教育は完全に学生を接待をするという役割を担わされる。実態はサービス産業なのだから仕方がない。
しかし、当人たちは、年々、教育者の極楽から地獄へと向かっている心持だろう。

そもそも教育とは何か?もう一度立ち止まって考える時期に来ているのは間違いない。
これとは別に、私立大学の乱立と近い、ポスドク問題というのがあるがそれは又の機会に考えたい。(三)